両立支援の取組事例
突然の社員のがん罹患 手探り状態からの両立支援
中塚株式会社
- 会社名
- 中塚株式会社
- 所在地
- 滋賀県野洲市
- 事業内容
- 製造業
- 設立
- 昭和51年8月1日
- 従業員数
- 15名
(2021年1月末日現在) - 平均年齢
- 50代前半/男女比 男性2:女性1
- 産業保健スタッフ
- なし
永年営業マンとして活躍してきた生え抜きの社員が、突然のがん宣告により両立支援に向かい合うこととなった中塚株式会社。大正8年から続く、金・銀箔をはじめとする金属箔などの織物材料(原反)の特殊加工・販売をする歴史ある会社です。
経験ゼロだった治療と就労の両立支援を、厚労省のガイドラインを参考にしたり、産業保健総合支援センターの支援を受けるなど、コツコツと試行錯誤しながら進めた経験を伺いました。
3年ほど前になりますが、弊社の50代ベテラン営業マンが膵臓がんに罹患しました。弊社では全員が毎年健康診断を受診しており、それまで特段の異常もなかったので、とても驚きました。
発見時、すでに膵臓がんはステージⅣに進行しており、肝臓にも転移がありました。本人と面談したところ、働きながら治療を続けたいとの意思が強く、主治医からも就業可能との判断をいただいたことから、会社として両立支援に取り組みました。
弊社は15名の小さな会社で、それまでは両立支援の経験どころか“両立支援”という言葉さえ知りませんでした。
まず最初に「どうすれば治療の妨げにならないか」「どうすれば継続して働けるか」を考えました。
本人の了承のもと、主治医に話を伺いに行きました。「運転は大丈夫か」「重いものを持っても平気か」など、細かいことまで確認し、今後の抗がん剤治療の副作用についても教えていただきました。
抗がん剤治療では、免疫力が弱くなるということでしたので、会社にマスクやアルコール消毒液を置くようにしました。
当面は運転も可能とのことでしたので営業は続けてもらいましたが、電車や階段などを頻繁に利用する場面が想定される首都圏への出張は止めたり、他のエリアへの出張の際は突然倒れたりしても対応ができるように同伴者同行にしたりしました。
会社としての支援を続けていましたが、病状が徐々に悪くなっていく中で「本当にこれでいいのだろうか」「もっとできることはないだろうか」と常に悩んでいました。
インターネットでいろいろと検索していた時に滋賀産業保健総合支援センター(以下「産保センター」)というものがあるということを知りました。
そこで、早速産保センターに電話をしたところ、保健師の方に来社していただき、さまざまなサポートをしていただきました。
具体的には、本人、会社担当者(私)、医療ソーシャルワーカー、産保センターの保健師さんで面談を行い、今後の働き方を決めるとともに、
毎月1回は主治医と会社の間で「会社と主治医間の連絡シート」(産保センターのホームページでダウンロード可能)を使用して情報交換を行うことで、病状に応じた対応方法を取ることができました。
当時、支援対象の社員の有給休暇が残り少なくなっており、そのままでは病気休暇となり給料が減額される可能性があることから、産保センターからアドバイスをいただき「半日勤務制度」というものを取り入れました。
その頃は、半日有給休暇や時間単位での有給休暇などはまだ制度化されておらず、特別措置として当該社員のみ、半日の出勤でも1日の出勤と認める制度を設けました。もちろん、全社員に対してきちんと状況を説明し、理解を得ています。
そして、本人もやりがいを持って就労を続けていましたが病状は徐々に悪化し、総務部への配置転換も行いましたが、残念ながら永眠されました。
その後も制度面の整備を続け、現在は1時間単位の有給休暇、毎年のストレスチェック実施、がん検診の実施などを行っています。